ベーシストの擁護

以下は日記に載せようか迷ったのであるが、お盆の戯言として聞き流してください。
先日あるギタリスト(であろう方)のページを見た。スケール等分かりやすく解説されていて、大変に勉強になった。この方はギタリストであるがベースにも憧れていてベースも練習しているらしいが、ちょっと気になることがある。レッド・ツェッペリンのジョン・ポール。ジョーンズを褒めるのはいい。すばらしいベーシストである事は事実だから。しかしディープ・パープルのロジャー・グローヴァーをトニックしか弾かないのでつまらんと書いてある。メイド・イン・ジャパンを聴けば、どれだけロジャーが弾きまくっているかわかりそうなものだ。ベーシストと言うのは、曲ののりやバランスを考えて、あえて(耐えがたきをを耐え忍びがたきを忍び(爆))トニックしか弾かない場合が多いのである。本当につまらないベーシストならディープ・パープルを早々と首になっているはずである。確かにリッチーは彼をベーシストとしてどうか?という発言をしているが、それはレインボーの音楽性に対しての発言で、(私もこれは賛成)パープルでは実にセンスのいい仕事をしていると思う。あげくにレインボーの1stのベーシストをえらいテクニシャンだと持ち上げる。たしかにテクニシャンではあろう。しかし、レインボーでああいうベースを弾いてしまっている時点で実はダメベースなのである。この人が感動したという「銀嶺の覇者」のベースはこの曲にまったく合っていない。リッチーの望んだ通りではない。このメンバーはロニーを得るためにロニーのバンド"エルフ"を丸抱えしたのであって(たぶんそれが結成の条件だったのだろう)リッチーが自分が望むメンバーを集めたわけでは無いのである。エルフはどちらかというとファンク系のハードロックなので、リッチーの考えるレインボーの音楽性とは相容れるはずも無い。それなのに、平気であんなベースを弾くこと自体が問題で、テクニック以前のセンスの問題なのだ。それはその後のライブバージョンの「銀嶺の覇者」を聴けば一目瞭然である(比較的ファンキーな「蛇つかい」では成功しているも証拠の一つ)
また、ピック弾き指弾きについての意見もあえてピック弾きベーシストとして苦言を呈したい。確かに一般に指弾きのほうがベーシストとして上であるという風潮はあるし、どうしても、ピックのほうがより簡単にベースの世界に入りやすいのは確かである。彼はそれは偏見であると言っているが、やはり最初ピックで弾いて、それができたら指で練習し、やっぱり指は難しいなどと書いているので、やはりピックを下に見ているのだと判断する。しかし、いったんベースの道に入ってしまえばその後は、指であろうがピックであろうが下手は下手で上手いは上手いのである。またジョン・エントウィッスルの言うように、ベーシストとベース・ギタリストは違うというのも真理である。指でも弾けることしかピックで弾けないのであるなら、それはピックは指に劣るであろう。しかし、ピックでしかできない事もあるし、ピックでしか出ない乗りもあるのである。どうもこの人はハードロックとフュージョンの一部は聴くが、プログレは聴かないようで、ポール・マッカートニージョン・ウェットンマザーズの歴代ベーシスト、前述のジョン・エントウィッスル等についてはいっさい語られていない。せめてクリムゾンUSAでも聴いていてくれたら、この人もずいぶん違った意見になっただろうに、と思う。
そもそも皆様は考えたことがおありだろうか。さまざまな楽器が電気化されたとき、ベースと言う楽器が元の形から最も変わってしまったということを。ギターはアコースティック時代からフレットがあった。しかし、ベースは元々フレットが無かったものがフレットが付いたのである。仮にフレットが付いたヴァイオリンを想像していただきたい。これはもう別の楽器であろう。エレキベースも実は別の楽器と言っていいのである。それならば、別の楽器としての奏法の発想がもっとあっていい。もちろんピックを使うとか、アコースティックベースでは力の関係で普通使用されない薬指の使用によって、フレーズの幅が広がったと言うことは、今までもあった。しかし、「ピックを使う=手軽にベースが弾ける」以上の発想をしないと、もったいないではないか、と私は言いたいのだ。もちろんベースと言う楽器は、リズムキープと言う大事な仕事があるから、そうそう奇矯なことはできないのは事実であるが、その環境に甘えていて、いわゆるベース内ベース、アコースティック・ベースの代用としての発想しかできないのでは、せっかくベースが「ベースギター」になった意味が無いのでは無いかといいたいのだ。