前田慶次郎

近衛龍春(2007)
前田慶次(郎)は、未だに謎の人物である。生年月日も、実の父もわかってない。
ちなみに現在もっとも確かであろうといわれている生年は2種類あり、前田家側資料による1533年、上杉家側資料による1541年である。
1533年となると、叔父の前田利家のみならず、秀吉や信長よりも年上ということになる。
そして、前田慶次の名を天下にとどろかせた、関ヶ原の合戦の折の最上家との退却戦の時には67歳ということになる。今よりももっと寿命が短い時代に、この歳で朱槍を振り回して八面六臂というわけにはいかなかったのではないか?(いや、それができたからこその慶次なのかもしれないが)
これが1941年ならば、利家より3歳下、朋友奥村助右門と同い年だし、最上家との退却戦では59歳だから、常識的にはこちらをとりたい。
前田慶次といえば隆慶一郎の「一夢庵風流記」であり、それを原作とした「花の慶次」であるが、(本当の歳を知ったら、「花の慶次」は違和感満載であるが(笑))隆先生は、(明確に歳はかいてないけれども、利家より下で、助右門とも近い感じなので)生年は1941年をとられているようだ。
そして(長い前置きだ)この近衛龍春の「前田慶次郎」であるが、彼は1533年をとっているようだ。明らかに利家は年下である。
物語は、「一夢庵風流記」が慶次の前田家出奔より少し前から始まっているのに比して、それよりも前、(多分実の父の一族)滝川(一益)家のもとで、いくさにあけくれていた頃から始まっている(それでも既に50歳だが)もちろん資料的にはなんの証拠も無いから近衛龍春の想像である。
近衛龍春は当時の合戦の資料を細かく分析し、かつそのいくさに前田慶次が参加したら、という仮説の元、じつにリアリティあふれる描写をする。
しかしである、あまりにそんなことばかり続くと、さすがに食傷してくる(笑)(好きな人もいるだろうけど)
なので、面白いことは面白いが、ちょっとしんどかった。
その点隆先生はさすがにドラマ満載であきさせない。
あと、「一夢庵風流記」では冷たかった慶次の妻が、こちらでは、よくできた優しい奥さんで仲むつまじい。そこは救われた感じ。
そういえば、大河ドラマの慶次のキャスティングはいつ決まるのだ?