幻影の都市(1967)

アーシュラ・K・ル・グウィン
ハイニッシュ・ユニバースの第3作(ただし、ハイニッシュ・ユニバースの時系列上の3番目というわけではない)
「ロカノンの世界」「辺境の惑星」共に、いかにもル・グウィンらしい味わい深い作品ではあるが、いい意味でも悪い意味でも、未だ素直なストーリー展開だった。が、この第3作にきて、いよいよ後の傑作群へ通ずる多重構造的深みを表し始める。
真実が虚偽であり、虚偽が真実である、まるでディックを思わせる展開だが、ディックが発想のみでごり押しをするのに比して、ル・グウィンは綿密な構築をする。
記憶を奪われ放り出された主人公、6年の間に確立された新しい人格、元の人格に戻るためにはその新しい人格を捨てなければならない。元の人格に戻った主人公は、その人格のまま、再び新しい人格をも取り戻そうとする。彼を取り巻いてきた綿密に仕組まれた陰謀を解明し、人類を救うために。
人格は融合するわけもなければ、多重人格というわけでもない。ここら辺の描写は圧巻。
この作品のテーマはこれのみでは無いが、ヴォークト、ベスター、ディックの亜流に陥りかねないこのテーマが、ル・グウィンの手にかかると、なんと深遠な哲学性の境地にまで昇華されていくことか。
ちなみに、この作品にも登場する前作「辺境の惑星」の舞台となった星の公転周期が人の一生に匹敵するという特徴は、明らかに萩尾望都の「11人いる!」の登場人物「ヌー」の故郷の星の元ネタかと思ったのだが、翻訳の初出はサンリオ版で1978年、「11人いる!」は1975年なので、偶然の一致か。