ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」に元曲があったとは知らなかった。
作曲者はインスパイヤと言っているらしいが、ここまで似ていると・・・・・
好きな曲だっただけにちょっと残念。
こちらがショッキング・ブルーの「ヴィーナス」
ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」に元曲があったとは知らなかった。
作曲者はインスパイヤと言っているらしいが、ここまで似ていると・・・・・
好きな曲だっただけにちょっと残念。
こちらがショッキング・ブルーの「ヴィーナス」
以前「フリートウッド・マック」のクリスティン・マクヴィーのチキン・シャック時代のボーカルが聴きたいのでアルバムを買った話を書いたが
https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20061219/p2
チキン・シャック時代にカバーながらも彼女がボーカルを取って全英14位になったシングル曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」という曲がある事を寡聞ながら知らなかった(汗)
チキン・シャックのアルバムには収録されず「クリスティン・パーフェクト」というセルフ・タイトルのソロアルバムに収録という事だが、現在入手が難しい模様(涙)
私が「フリートウッド・マック」を意識したのはNHKで放送された映像だった、という事は以前にも書いているが
https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20070623/p1
アナログ時代、シングルを買った大好きな"You Make Loving Fun"が、翌年シンディ・ローパーがデビュー曲としてカバーしていたとは知らなかった。
こちらが「フリートウッド・マック」の"You Make Loving Fun"
こちらがシンディ・ローパー盤。見事にパンクになってる。
シューマンの交響曲は、漠然と1番と4番が人気で、次いで3番、最後が2番だと思っていた。
1番と4番はいい意味でキャッチャーで交響曲としての構成もしっかりしている。ロマン派の交響曲の代表的作品という感じだからだ(まあ、オーケストレーションの問題は別として)
なので、以前もティントナーのシューマンの時に、なぜよりによって2番とか、シューリヒトのシューマンも、なぜ1番と4番が無いんだろう(これは書いたか記憶がないが)と思ったりしていた。
ところがある方のネット記事をみてびっくり、ヨーロッパでは2番と3番の方が人気だというのだ。その方も「意外にも」という書き方をしているから、上記の私の意見も一般的な日本のクラシックファンの意見だと思う。
まだ「ライン」という名のついた3番は、ライン川の流れを思わせる息の長い主題で始まるので、ヨーロッパ人は好きなんだろう、と想像がつくが、なぜ2番?
宇野功芳がかつて「精神分裂的な作品」と評したのは極端な例としても、曲としての見通しが見えづらいというか、なんかわちゃわちゃしているうちに終わってしまうというか、交響曲としての起承転結が無いというか。
しかし、それも日本人としての感覚で、ヨーロッパ人は別の感覚でこの曲と聴いているのだろう。そこらへん詳しく知りたいものだが・・・・
昨日の記事を書いた後ネットでいろいろと調べていたら、某通販のレビューで以下のような記述を発見。
あの世からシューマンの不平が聞こえる。「わたくしのオーケストレーションは,駄目だと言われ続けてきた。しかし,それはあなたがたが間違った編成のオーケストラで,間違った音響で,間違った音楽常識で演奏したからだ。」
まるで、昨日の私の疑問に答えるかのようなこのレビューは、ロイ・グッドマン指揮ハノーヴァーバンドによるシューマンの交響曲全集に対するものだ。
ハノーヴァーバンドは、いわゆるピリオド楽器によるオーケストラで、当然ヴァイオリンは両翼である。これは絶対聴かねば!と注文してしまった。
しかし、古楽器オケについてはある程度知っていたつもりだったが、寡聞ながらハノーヴァーバンドは知らなかった。古典派やロマン派の曲のピリオド演奏で話題だったらしい。
ベートーヴェンの交響曲全集もある!ベートーヴェンについては、コレギウム・アウレウムのエロイカをエロイカのベストに挙げたことがあるが
https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20090113/p1
コレギウム・アウレウムはベートーヴェンはあと7番しか録音しておらず、他のベートーヴェンも古楽器で聴きたいとかねてから思っていたのだが、とっくの昔に出ていたとは・・・・!
っていうか、もうクラシックは作曲当時のオケ編成で全部やって欲しい。極端な話、ブルックナーも全曲ピリオド演奏で聴きたい。(ヘレヴェッヘは4番、5番と7番のみだった)
昨日シューマンについて書いたので日頃思っていた事を書く。
シューマンの交響曲はオーケストレーションに問題があり、歴代指揮者は独自に楽譜を改訂して演奏していた、というのは有名な話である。
曰く、楽器を重ねすぎて、聴こえてほしいフレーズが埋もれてしまう、云々。
歴代指揮者は当然現場で楽譜通りに演奏したらどうなるのかを、実際に聴いているはずで、だからこそ改訂という処置を施したのだろうが、聴き手はその実際の音を聴く機会はたぶんない。
なので、楽譜通りに演奏はいったいどうなんだろう、という興味は尽きなかった。
以前、シューマンBOXのレヴァインによる交響曲全集が、楽譜通りの演奏だと書いたが
その後、感想を書いていなかった。なぜ書かなかったかは記憶に無いのだが、たぶんイメージと違ったのだと思う。
ネット上の解説によると
各声部のバランスに細心の注意を払いながら、ありのままにスコアを鳴らし切ることで、これまで茫漠とした響きに埋もれていた微細なオーケストレーションのきらめきを明らかにし、端正で音楽的な純度の高い演奏を成し遂げているのです。
つまりは、シューマンの書いたままの楽譜は使用しているが、楽譜通りの演奏ではない。という事なのだ。
勿論、指揮者としてはフレーズが埋もれてしまう演奏を世に出すわけにはいかないので、当たり前の対応だし、演奏自体はサヴァリッシュ盤に並ぶ標準盤として推せる。
しかし、個人的なわがままとして、シューマンの楽譜通りの演奏を一度聴いてみたいのだった。
しかし、ここまで書いてふと思った。上記のネット上の解説の続きには
サウンドのクリアネスを向上させるためか、ヴァイオリン両翼型の楽器配置に変更し
とある。
元々シューマンの時代は両翼配置だったので、もしかしたらシューマンのオーケストレーションでも、両翼配置なら問題は無かったのか?
しかし、マーラーもシューマンのオーケストレーションに問題ありとして、編曲版を作成したりしている。マーラーの時代も両翼配置だと思うので、やはり両翼配置でも楽譜通り演奏したらフレーズが埋もれたりしたんだろう・・・・
うーん、難しい問題だな。