シューマンのオーケストレーション

昨日シューマンについて書いたので日頃思っていた事を書く。
シューマン交響曲オーケストレーションに問題があり、歴代指揮者は独自に楽譜を改訂して演奏していた、というのは有名な話である。
曰く、楽器を重ねすぎて、聴こえてほしいフレーズが埋もれてしまう、云々。
歴代指揮者は当然現場で楽譜通りに演奏したらどうなるのかを、実際に聴いているはずで、だからこそ改訂という処置を施したのだろうが、聴き手はその実際の音を聴く機会はたぶんない。
なので、楽譜通りに演奏はいったいどうなんだろう、という興味は尽きなかった。
以前、シューマンBOXのレヴァインによる交響曲全集が、楽譜通りの演奏だと書いたが

その後、感想を書いていなかった。なぜ書かなかったかは記憶に無いのだが、たぶんイメージと違ったのだと思う。
ネット上の解説によると

各声部のバランスに細心の注意を払いながら、ありのままにスコアを鳴らし切ることで、これまで茫漠とした響きに埋もれていた微細なオーケストレーションのきらめきを明らかにし、端正で音楽的な純度の高い演奏を成し遂げているのです。

つまりは、シューマンの書いたままの楽譜は使用しているが、楽譜通りの演奏ではない。という事なのだ。

勿論、指揮者としてはフレーズが埋もれてしまう演奏を世に出すわけにはいかないので、当たり前の対応だし、演奏自体はサヴァリッシュ盤に並ぶ標準盤として推せる。
しかし、個人的なわがままとして、シューマンの楽譜通りの演奏を一度聴いてみたいのだった。

しかし、ここまで書いてふと思った。上記のネット上の解説の続きには

サウンドのクリアネスを向上させるためか、ヴァイオリン両翼型の楽器配置に変更し

とある。
元々シューマンの時代は両翼配置だったので、もしかしたらシューマンオーケストレーションでも、両翼配置なら問題は無かったのか?
しかし、マーラーシューマンオーケストレーションに問題ありとして、編曲版を作成したりしている。マーラーの時代も両翼配置だと思うので、やはり両翼配置でも楽譜通り演奏したらフレーズが埋もれたりしたんだろう・・・・
うーん、難しい問題だな。