チャイコフスキー「くるみ割り人形」

クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1960)
以前から何回か書いている(こちらこちら等)アナログ時代に愛聴していたクナッパーツブッシュの「くるみ割り人形」であるが、しばらく高値がついていたが、やっと手頃な値段のユーズドが出たので購入した。
「トレパック」の低音弦の切り込みはアナログ盤の記憶が蘇る!懐かしい!
某通販サイトの解説によると、このセッションは練習なしの一発録りというの情報があるそうだ。いかにもクナらしい。だぶん、その条件じゃなければやらないよ、とでも言ったのだろう。
レコード初期の時代は、ライブ等の傷のある演奏よりも、スタジオで完璧な演奏をめざして完成させ、それを市場に出す、というコンセプトが業界を支配しており、指揮者よりもプロデューサーの方が強かった。
それはそれで、その時代には価値があったと思うが、それまでコンサート1回で消えてしまう音を構築してきた指揮者達はとまどったことだろう。
つまりは時代が変わってきたという事で、それに時流にうまく乗り、レコーディングというものを理解した指揮者が、当時はレコード会社に重宝されたし、スター指揮者になっていった。(誰かさんなんかその代表)
そして、その正反対の場所にいたのが我らがクナであった。
せっかくの「指環」全曲録音の機会を、プロデューサーにテンポの指示をされたり、何度も録リ直しを指示されたりして嫌気がさして降りてしまったのだ。
後を継いだショルティは、いやいやながらも我慢してプロデューサーの指示に唯唯諾諾と従ったおかげで、例の「指環」が完成した。
しかし、時代を経てこれだけの発掘音源が出てくると、多少演奏に傷があっても、ライブの凄さというものがスタジオ盤を凌駕するものである、と言う事は常識になりつつある。
はたして勝者は誰か。
そう言えば、今回随分ひさしぶりに「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲(下記参照)を聴いたのだが、こんなに気の抜けた演奏だったっけと、1950年のベルリン・フィルとのライブを聴き直したら、こちらは大迫力であった。
実は今回気づいたのだが、スタジオの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲には、明らかに編集点がある。一度は通して演奏したかもしれないが、その後プロデューサーから、ここからここまでをもう一度、等といわれて演奏しなおして、それを切り貼りしたであろう事は想像に難くない。しかしである、こういうことは、クナに一番やってはいけない事なのである(笑)それは腑抜けた演奏になるわな。
さて、これも何回か書いているが(記憶が正しければ)クナはデッカに、ウィンナワルツと管弦楽曲をアナログで1枚づつ残している。CD化すると収録時間の関係で、2枚だと1枚当たりの曲が足りなくなるし、1枚だとはみ出る、ということで、どうしても取捨選択盤になり、重複する曲も出てくる。

今回入手したのは一番最初に出た
1.クナッパーツブッシュ・ポピュラー・コンサート(1990)
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形
シューベルト:軍隊行進曲
ウェーバー:舞踏への勧誘
ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

2番目に出たのが
2.クナッパーツブッシュ ウィーン・フィル ポピュラー・コンサート(1996)
シューベルト:軍隊行進曲
ウェーバー:舞踏への勧誘
ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形
ブラームス:大学祝典序曲
ブラームス:悲劇的序曲

3番目に出たのが
3.「舞踏への勧誘~クナッパーツブッシュ名演集」(2001)
ブラームス:大学祝典序曲
ブラームス:悲劇的序曲
ウェーバー:舞踏への勧誘
ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
コムツァーク:ワルツ「バーデン娘」
シュトラウス2世:加速度円舞曲
シュトラウス2世:トリッチ・トラッチ・ポルカ
ツィーラー:ワルツ「ウィーンの市民」

輸入盤にはあるようだが、シュトラウス2世の3曲、アンネン・ポルカ、浮気心、ウィーンの森の物語 は上記に収録されなかった。


分かりやすく書くと、1.にブラームス2曲を足したのが2.
2.にワルツ集から足して「くるみ割り人形」と「軍隊行進曲」を落としたのが3.と言う事になる。
私は3.しか買っていなかったので「くるみ割り人形」と「軍隊行進曲」が聴きたくて聴きたくて(笑)
そして「軍隊行進曲」は、こちらで入手
というわけで、いよいよ「くるみ割り人形」だけが残っていたのだった。めでたしめでたし。
あ、ということは「ウィーン・フィル・ベスト101」は不要か(爆)