ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
ロストロポーヴィチ指揮 ワシントン・ナショナル交響楽団(1994)
バルシャイ指揮 ケルン放送交響楽団(1995)
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団(1981)
ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1982)
前置きでムラヴィンスキー盤について。
以前ショスタコーヴィチBOXを買った、と書いた時、49CDと書いたが
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2014/03/26/050023
よくよく見てみたら51CDだった(笑)
ほぼ同内容のセットで、49CDの方のネット情報をみていたのだった。
で、何が違うかと言うと51CDのラスト「歴史的録音」3CDが、49CDでは最初の1枚のみになってこのムラヴィンスキーの第5が落ちていること。
ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチはいつか聴いてみたかったので、これは幸運。なぜ1982年なのに「歴史的録音」かというと発掘音源系のためで、未だにムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは、どんどん音源が発見されて発売されているらしい。なので、かなりの数にのぼっているらしいムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第5番の、どの録音がいいとかわからないのだけれど、とりあえずこれは聴けて良かった。一般には1973年の初来日ライブと1984年盤が名盤とされているようだ。
前置き終わり。
さて、いよいよ人気曲の第5であるが、しつこいようだが、こちらの記述は大前提として読んでほしい。
http://hakuasin.hatenablog.com/entries/2007/09/04
なので、この作品の指揮法は3つにわかれる。
1.楽譜通りにやると変なので、指揮者が曲がかっこよく聴こえるように操作する。
2.ショスタコーヴィチの意図をくんで「強制された歓喜」が前面に出るようにする。
3.余計な事を考えず、変になるのを承知で、あえてなるべく楽譜通りに演奏する。
基本的に旧ソ連の指揮者(ロストロポーヴィチ、バルシャイ)は1.であることが今回良くわかった。不協和音が邪魔することろは、不協和音の音量を押さえたり、第4楽章冒頭はりっぱに聴こえるようにテンポは遅めである。
朝比奈さんのような3.の演奏で、ああ、実はこの曲が不自然な曲なのだ、とよくわかる。
大指揮者時代最後の大物ムラヴィンスキーは、ソ連であってもさすがに次元が違う演奏で、このBOXが51CDでよかったと心から思う。この曲の初演を、ショスタコーヴィチとの入念な打ち合わせの末行ったムラヴィンスキーだから、もしかしたらこの曲の真意をショスタコーヴィチから聞いていたのかもしれない。第4楽章の狂気のようなテンポ、これこそがこの曲の正体だ。なのであえてこれを2.の演奏としたい。
しかし、つくづくこの曲はよく出来ている。前衛的なフレージングや和声、対位法がありながらも、聴き終ってみると、ロマン派あたりの交響曲を聴いたような気にさせるように、実にうまく作ってある。そうやってソ連政府をだましながらやっていかなければならなくなったのだ、ショスタコーヴィチは。