ハイドンとシュトゥルム・ウント・ドラング
先日、たまたまラジオからハイドンの交響曲第44番「悲しみ」交響曲第48番「マリア・テレジア」を耳にした。なんか気になったので、家に帰ったら44番は持っていたので聴いたたのだが、後のベートーヴェンを髣髴させるような感情表現があって、ちょっと調べてみたらハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング期」の作品とのことだった。
シュトゥルム・ウント・ドラングとは、18世紀の文学運動で、後のロマン派の先駆けとなったとのこと。
つまりは「ハイドンは古典派」というのも画一的な見方で、充分ロマン派的な要素を持っていたことになる。
というわけでもないのだが、元々前期ロマン派は好きではないのにメンデルスゾーンやリストを聴いていたら、古典派のほっとする音楽を聴きたくなってきた。ベートーヴェンの「田園」を聴き始めたのもそういう事だったのかもしれない。ここらで腰を据えてハイドンを聴くというのも手だな。(ん?なんか矛盾してるな(笑))ああ、「ロマン派の萌芽がある」程度の古典派が聴きたいという事か(笑)めんどくさい奴だ。