ブルックナー 交響曲第3番 改訂版

朝比奈隆 大阪フィルハーモニー交響楽団(1993)
朝比奈さんのブル3といえばエーザー版であり、それに対応するノバーク2版である、というイメージが強いが、よりによって(ノバーク3版でなく)改訂版の演奏があるとは知らなかった。
インタビュー等を聞くと朝比奈さんはブル3が演奏的効果が上げづらいため、けっこう嫌いだったようだが、それならいっそ、ノバーク1版での演奏を残しておいてくれてもよかったのに。
また、発売当初はノバーク3版と記されていたのが、発売後に改訂版であることが発覚したため、再発盤から改訂版と表記されるようになったというのも興味深い。
普通は「使用する時点でわからなかったのか?」と思うものだが、楽譜事情というのは素人には分かりづらく、例えば「ノバーク版の総譜は出版されているが、パート譜はレンタルしかない」等というのは素人には想像がつかない事態である。ネット上では「他人の書き込みがあるレンタル・パート譜を嫌い(書き込みしちゃうってのもまた、我々の常識からは理解できないが)書き込みの無いレンタル・パート譜を見つけたら、それが後から気づいたら改訂版だったのでは?といった推理もあったが、真相は謎だ。
さて、私見であるがブル3はきびきびと演奏されるべきだと思う(こちら
朝比奈さんのブル3は悠然たるテンポといい妙に情感がこもった音作りといい、ブル3の曲調に合っていない気がする。
曲調に合わない→演奏効果が上がらない→嫌いになる
この悪循環のような気がする。
同じようにテンポが遅く美しい仕上がりのティントナーの場合、情感を突き抜けたところで獲得した美しさなので、全く別物である。
ちなみに解説で宇野功芳氏が、ブル3は3版のフィナーレに「第1主題の再現部」を復活させ、できれば第1楽章に「第2主題の回想」を復活させたいが、それでは編曲になる、といった意味のことを書いている。
私も以前、ノバーク1版を基調とし、第1楽章やフィナーレの終結部を3版と入れ替える等、部分部分を3版と入れ替えたい、と書いたことがある(こちら
宇野氏と私では理想とするブル3の姿が違うのだが、現在存在するブル3のすべての版がさまざまな意味で中途半端であるということでは一致している。(編曲でいいから、だれか勇気のある作曲家か指揮者がやってくれないかな〜混合版)
なので、大好きなブル3だが、人に薦められる理想の版や演奏が決めづらく、できるなら、1版、3版(改訂版)両方を聴いてもらって、補い合ってこの作品を愛でて欲しいのだ。