チャイコフスキー 歌劇「エフゲニー・オネーギン」序論
アンドレーエのブルックナー交響曲全集も聴き終わり、「チャイコフスキー・エディション」に戻るのだが、当初作曲順に管弦楽、オペラを中心に聴いてゆくつもりだったが、歌劇「オプリチニーク」があまりに良かったので、オペラから聴いてゆく事にした。
そして、チャイコフスキーのオペラで最も有名な「エフゲニー・オネーギン」は、映像を含め、数種類を聴き比べる事にした。
このオペラ、あらすじだけを見て「若き純粋な少女を振った男が、その少女が美しい人妻になったら惚れてしまい、言い寄るが振られて嘆く」という馬鹿な男の話だと思った。こんな話をオペラにして、何が楽しいんだ、等と思ったりした。
しかし、実際は当時のロシア社会の暗部を描く、プーシキンの名文学作品が原作なのであった。
ちなみに、この「エフゲニー・オネーギン」は、ソフトの絶対数が少ない。チャイコフスキーという超有名作曲家の作品なのに。そして初期の「オプリチニーク」があんなに良いのだから、「エフゲニー・オネーギン」が悪いはずがない。なのにソフト数が少ない。
例えばムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」は100種近くの録音が確認できるが「エフゲニー・オネーギン」はたった20数種しかないのだ。
よくよく調べてみたら、海外(ロシアのね)では、よりロシア的泥臭さの強いムソルグスキーの方が好まれるのだとか。(本国ではチャイコフスキーの方が人気らしい)
なんか、外国が好む「日本的なもの」と日本人が思う「日本的なもの」の差があるのと、似たような状況で、こういうことはどこでもあるのだな、と思う。
つまり、チャイコフスキーは外国にとってのロシア音楽の典型より、繊細であり美しすぎるのだろう。
しかし、日本人は実は昔からロシア民謡とかを好んでいたはずだから、日本からチャイコフスキーのオペラの人気を盛り上げる、なんて事も不可能ではないはずだ。