ジョー・ザヴィヌルの話(と、1970年代の音楽シーン)

以前、ウェザー・リポートについても色々書いたけれども、時折出てくる民族音楽趣味はキーボード奏者のジョー・ザヴィヌルで、ウェザー・リポート解散後はどうだったんだろう、と今更ながらに気になって調べてみたら、ソロや「ザヴィヌル・シンジケート」というバンドでより民族音楽的が音楽をやっていたという。以前、"Mysterious Traveller"のラストの曲について「全部こんな感じで1枚作ってもありかな」と書いたが

https://hakuasin.hatenablog.com/entry/20050108/p5

まさに、そういう感じであるなら何枚か聞きたくなってくる。

ネット上で調べていて気になったのが、ある方が「ザヴィヌル・シンジケート」の3枚のアルバムが見事に変化が無い。ウェザー・リポート時代は1枚ごとに変化があったのに、と否定的に書いていた。しかし、これは違うのではないかと思う。

1960年代から1970年代にかけて、ロック界ではサイケデリック・ロックからプログレが生まれ、その中にジャズ・ロックがあった。ジャズ界ではジョン・コルトレーンの「至上の愛」から変化が生まれ、フリー・ジャズを経てエレクトリック・ジャズ、ファンク・ジャズ。スピリアル・ジャズ等が生まれ、以前にも書いたが、この時期ロック界とジャズ界が非常に接近していた。
そして、クロスオーバーが生まれフュージョンが生まれ、ジャズ・ロックもその流れに乗るかポップス化するかして、プログレ自体が1970年代後半には既にオワコン化していった。当然エレクトリック・ジャズもフュージョン化が進んでいった。
そういう怒涛の時代のアルバムが1枚ごとに変化しているのは当たり前で、ロック界のウェザー・リポートと言っていいソフトマシーンもやはり1枚ごとに音楽性は変化している。
そういう時代のアルバムと、音楽界も落ち着いた1980年代後半の「ザヴィヌル・シンジケート」のアルバムのアルバムごとの変化を比べるのもまたおかしな話だし、ザヴィヌル自身もウェザー時代は脂ののった40代、「ザヴィヌル・シンジケート」はもう60に手が届く頃なので、落ち着いていて当たり前なのだ。