デュトワのベルリオーズ 「トロイアの人々」一聴目

ベルリオーズ 歌劇「トロイアの人々」
シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団(1993)
デボラ・ヴォイト(S)
フランソワーズ・ポレ(S)
エレーヌ・ペラギン(Ms)
ゲイリー・レイクス(T)
ジーノ・キリコ(Br)
ジャン=フィリップ・クルティス(Bs)

というわけで
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2017/11/24/050334
デュトワベルリオーズ 「トロイアの人々」である。
このオペラ初の全曲録音のコリン・デイヴィス盤に続く、初の完全版の録音である。
とりあえず、一聴したので今の時点での感想を書く。(他の録音を聴いたらまた聴き比べのために再聴する予定)(あらすじ等ついては詳しいサイトがいろいろあるのでそちらをどうぞ)
4時間のオペラと言う事で、ワーグナー並にとっつきにくい(はまればとりこになるが)のかと思いきや、全編さくさく聴ける。音楽的にも美しく素晴らしい。
つくづく思うのは、もしベルリオーズ無かりせば、ワーグナーの楽劇も無かったであろう、という事。音楽的スケールや管弦楽の重用、神話世界において神々の我儘に翻弄される人々、これはまさにワーグナーの先取りではないか。
前回書かなかったが、そもそも、なぜトロイアから逃れたアエネーイスカルタゴの女王ディドが恋に落ちるかというと、カルタゴに漂着したアエネーイスが殺されないために女王ディドの心を神々があやつったせいである。そして、無事にアエネーイスカルタゴに受け入れられたら、今度はイタリアへローマ建国のために旅立つことをアエネーイスに強制するわけである。後ろ髪を引かれながら去るアエネーイスに取り残された女王ディドは絶望し自ら命を絶つ・・・・・女王ディドは何も悪くないのに神々のためにひどい目に会うのだ!

"Notitle" がLINEオーディション2017でグランプリという快挙

以前ご紹介した、三沢の高校生バンド"Notitle"が

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2017/10/06/075955

LINEオーディション2017なるものでグランプリを獲得!年内デビューだとか!凄い!

 

娘の所属するバンドの動画が

娘の所属するバンドの動画がアップされていた。

 

ベルリオーズ 「トロイアの人々」について(と、ギリシャ神話の話)

ベルリオーズのオペラ「トロイアの人々」は4時間の大作で、その長さゆえに初の全曲上演が作曲後100年を経た1969年(コリン・デイヴィス指揮)完全版が演奏されたのがこのデュトワ指揮1993年で、その上演後にスタジオ録音されている。
今まで何回か引き合いに出している「オペラ名作名演全集」に引用されているオペラ研究家永竹由幸氏が、フランスが作者の存命中の全曲演奏を許さなかったせいで、ドイツのワーグナー、イタリアのヴェルディと同等の正当な評価をベルリオーズが受ける事ができなかった、といった内容の指摘があった事が書かれている。それに継いで、著者(松本矩典)は、ベルリオーズが評価されていれば、その後のフランスオペラ界の混迷はなかった、とまで言い切っている。
さて、内容であるが、第1部(第1幕、第2幕 約90分)がギリシャ神話のいわゆる「トロイの木馬」、第2部(第3幕、第4幕、第5幕 約150分)が、古代ローマの詩人ウェルギリウスのローマ建国神話を扱った「アエネーイス」を題材としている。
第1部は、戦いに敗れたカッサンドラを始めとするトロイの王女達が、ギリシャの奴隷となる事を拒んだがゆえの集団自殺で終わり、第2部は、敗れたトロイの生き残りであるアエネーイスが、後にローマを建国するイタリアへ向かう際に立ち寄ったカルタゴで、その女王と恋に落ちながらもトロイの冥界の霊たちの命令に逆らえずに女王を捨てて旅立ち、女王は自殺、カルタゴの民の怨嗟の合唱で終わる、という悲痛な悲劇。

この話の前日譚として、トロイア戦争の原因であるパリス(アレクサンドロス)とヘレネーの話もあるし、カッサンドラがなぜ予知能力をもっているかの話もある。
また後日譚として、R・シュトラウスがオペラ化した「エレクトラ」の話やフォーレが後半部分を「ペネロープ」としてオペラ化した「オデュッセウスの航海」の話もある。ギリシャ神話は膨大だな
ギリシャ神話でも北欧神話でも、だいたい神々は自分勝手なのだが、上記のカッサンドラがなぜ予知能力をもったのかの話もあまりにひどいのでよく覚えている。
ゼウスの息子アポロンに言い寄られ、真実の愛のあかしとして予知能力を授かるが、予知能力を得たカッサンドラは、アポロンが自分を捨てて去って行く未来を予知し、アポロンを拒む。拒まれたアポロンは腹いせにカッサンドラの予言を誰も信じない、という呪いをかける。カッサンドラは、トロイを救うために数々の予言をするが、誰も信じてくれずにあげくにトロイは滅亡する・・・・アポロン、くずやん。いや、そもそものトロイア戦争の原因も元を正せば神々だ(長い話になるので省略)
このオペラでは、上記のように集団自殺するカッサンドラであるが、神話では勝者アガメムノンのものになるが、嫉妬したアガメムノンの妻クリュタイムネストラによりアガメムノン共々殺されてしまう。その事もカッサンドラは予知していたが、人生に疲れていたカッサンドラはあえてその運命に従った、という話になっている。
ちなみに上記のR・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」のエレクトラは、そのクリュタイムネストラの娘で、エレクトラの弟オレステスが、父の仇としてクリュタイムネストラを殺す話が「エレクトラ」である。しかし、クリュタイムネストラにも同情の余地はある。実はアガメムノンは前夫の仇であるし、エレクトラの姉をトロイア戦争のための航海の人身御供にされている、という恨みもあるのだ。
余談が長くなってしまったが、当初「トロイアの人々」を聴くためにデュトワベルリオーズBOXを買ったのだが、どうもそれだけではおさまらなくなってきそうな感じである。
とにかく長いので、全体を把握するまでかなりかかると思うので、しばらくブログの更新が無いかもしれない。

ベルリオーズ「イタリアのハロルド」さらに2種

ベルリオーズ「イタリアのハロルド」

デュトワ指揮 モントリオール交響楽団(1987)
ピンカス・ズッカーマン(Vla)
デュトワベルリオーズBOXである。当初ヴィオラ協奏曲を念頭に作曲が始まったが、結果的にヴィオラ独奏付きの交響曲という事に落ち着いたが、これもある意味ジャンルフリーである。なぜなら、クライマックスである最終楽章でヴィオラがほとんど出てこないからである。あたかも合唱曲集である「トリスティア」の最終曲に合唱がほとんで出てこないかの如くである。
最近、復習のためにトスカニーニ盤とミュンシュ盤を聴きなおしたのだが
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2017/09/12/045456

トスカニーニ盤は非常に真摯な演奏だがミュンシュ盤は多少下卑た演奏に聴こえた。私が「幻想交響曲」を苦手だ、という感じと同じ感じを受けた。
さて、デュトワ盤であるが、遅めのテンポの実にしっとりした演奏でミュンシュ盤のような下卑たことろは微塵も感じられない。この曲も指揮者によって随分様変わりする。こういう演奏ならこの曲も好きになるな。

 

ベルリオーズ「イタリアのハロルド」

インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団(1988)
ユーリ・バシュメット(Vla)
インバルのベルリオーズBOXである。
インバルらしい真摯な演奏だが、若干テンポがせわしない。またちょっと渋すぎるか。今までインバルとデュトワではインバルをとってきた印象があるが、この曲に関しては色彩を保ったままのしっとり感があるデュトワ盤をとりたい。

 

ベルリオーズの演奏会用序曲

ベルリオーズの演奏会用序曲で印象に残ったものをご紹介。

ベルリオーズ 序曲「ロブ・ロイ」
デュトワ指揮 モントリオール交響楽団(1987)

デュトワベルリオーズBOXの「イタリアのハロルド」のカップリングである。
「ロブ・ロイ」とは「スコットランドロビン・フッド」とも言われる実在の義賊、ロバート・ロイ・マグレガーのあだ名(赤毛のロブの意味)だそうだ。つまり彼をテーマにした管弦楽曲
いくつかの部分に分かれ、ロッシーニウィリアム・テル序曲のようにそれぞれに標題をつけてもいいくらい「物語の描写」的な音楽で、大変楽しめる内容になっている。

ベルリオーズ 序曲「リア王
デュトワ指揮 モントリオール交響楽団(1995)
ギブソン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1995)
ベルリオーズ名演集BOXである。曲名から明らかなようにシェークスピアの「リア王」をテーマとした管弦楽曲である。リア王の苦悩や三女コーディリアの優しさ、最後の悲劇が表現されている。


ベルリオーズ 序曲「海賊」
ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団(1958)
リビング・ステレオで「イタリアのハロルド」のカップリングである。
バイロンの物語詩「海賊」にインスパイヤされて作曲された曲。元の詩のあらすじを調べてみたら、なかなかにロマンティックかつドラマティックで、その内容の通りの曲。