「ポホヨラの娘」と「サイコ」

シベ2の聴き直しをするつもりが、トスカニーニの「ポホヨラの娘」を聴いてから、この曲のはしごが始まってしまった。
この曲は交響曲第2番と第3番の間にあたり、その後の交響詩が幾分自由というか実験的要素を含んでいるのに比して、しっかりした構成をもった交響詩の最後の完成形といえる傑作だと思う。
で、今日の話は、今までも似ているなあとは思っていたのだが、改めてウィキペディアを見ると

「ポホヨラの愚弄の動機」は、映画『サイコ』の刺殺の場面に流れるバーナード・ハーマンの楽曲に影響を与えたと言われている。

とあった。やっぱりそうだったのか!
下記は先日書いた、トスカニーニの演奏。上記のフレーズは 7:39 から。

 

youtu.be

 

今年のM-1グランプリ

またもや遅い話題で恐縮だが、今年のM-1グランプリの最終決戦3組は、このネタだけをとれば「かまいたち」が優勝だったのではないか。「ミルクボーイ」は最初のネタより内容は落ちていた気がするが、最初のネタのインパクトでそのまま持って行っていた感じだ。
「ぺこぱ」は実は今年の「おもしろ荘へいらっしゃい!」で優勝しているのだが、その後ブレイクの兆しがなかった。今回は何倍もレベルアップしていたので、今でよかったと思う。M-1グランプリで優勝するタイプではないと思うが「オードリー」のように優勝しない方がブレイクというパターンになるタイプだと思う。

トスカニーニのシベリウス「ポホヨラの娘」「トゥオネラの白鳥」

シベリウス
「ポホヨラの娘」(1944)
トゥオネラの白鳥」(1940)
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
また、前置きが長いです。
カラヤンのシベ2を聴いて、今までのシベ2に対する価値観をいったん捨てて、虚心坦懐にシベ2をいろいろと聴き直そうと思った。
手始めにトスカニーニを聴こうと思ってトスカニーニBOXのCDを取り出すと、シベ2のカップリングが「ポホヨラの娘」と「トゥオネラの白鳥」(レンミンカイネン組曲)そして「フィンランディア」であった。
シベ2については感想を書いたが

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2012/09/06/045915

他の曲については書いていないし、聴いた記憶もない。たぶん聴いていたと思うが、当時はまだシベリウス初心者だったので、あまり注意して聴いていなかったかもしれない。
ということで、シネ2前の露払い的な軽い気持ちで「ポホヨラの娘」「トゥオネラの白鳥」を聴いてみたところ、随分他の指揮者の演奏と印象が違ったのでびっくりした。
まず「ポホヨラの娘」であるが、非常にわかりやすい演奏である。改めて思うが、トスカニーニという人は「この曲はこういう曲ですよ」という事を第一に聴衆に伝えるという意味で非常に真摯な姿勢を持っていた指揮者だったのではないか、という事。それこそ「虚心坦懐」に曲に向き合っている。当たり前のように聞こえるが、これが本当にできている指揮者が何人いる事だろう。
トゥオネラの白鳥」は、さらに別曲のような印象だった、慌てて家にある「トゥオネラの白鳥」を何種類か聴き比べて判明したのが、この曲の中盤あたりで伴奏がピチカートになる部分がある。他の指揮者はたぶん楽譜どおりなのだろうが、非常に弱く演奏しているためにほとんど気づかない。トスカニーニはここをけっこう強めに演奏しているために「あれ?こんな部分があったかした」と思ったわけである。
しかし、ピチカートの伴奏を強調しているおかげで曲全体にめりはりがついている。今までこの曲は、なんとなく始まってなんとなく終わる印象があったが(シベリウスの意図もそうだったのかもしれないが)これは目から鱗の演奏である。

オーマンディのシベリウス

理想のシベリウスを探す旅(いつから始まった?)も、とうとうオーマンディまで来てしまった。生前のシベリウスと親交があったということ、また以前エロイカが良かったので

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2014/02/04/043901

聴いてみることにした。

オーマンディ・コンダクツ・シベリウス(8CD)は、RCA時代の旧録音とSONY時代の新録音が網羅されており、同じ曲が何種類か収録されているものがあるので聴き比べができる。めったに録音されない「カレリア序曲」があるのもうれしい。また、ヴァイオリン協奏曲がアイザック・スターンであるのも興味津々。
しかし、大好きな交響曲第6番、第3番が収録されていない。ネット情報によると「オーマンディ本人が「私には理解できない」として演奏しなかった」とのこと。うーん、そんな人のシベリウスって大丈夫なのか?
また、世評の高い「レンミンカイネン組曲」は「トゥオネラの白鳥」のみ、全曲録音はワーナーなのでこのBOXには収録できなかったのだろう。こちらは単独で注文した。
シベリウス購入も、いいかげんこれで一区切りつけたいのだが、カラヤンベルリン・フィルがあるしなあ・・・

カラヤン フィルハーモニア管のシベリウス まとめ

今回購入した、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団シベリウスの曲目と録音年は以下の通り。

交響曲第2番(1961)ステレオ
交響曲第4番(1953)
交響曲第5番(1961)ステレオ
交響曲第6番(1955)
交響曲第7番(1955)
フィンランディア」(1953)
「タピオラ」(1953)

いつも通り交響曲の番号の降順で聴いていったのだが、カラヤンの耽美的なアダージョの音作りは、シベリウスと相性が良い事がわかった(くやしいが(笑))
細かい点を言うと、第7番は長いアダージョの後、2度ほど若干テンポが上がりまた落ち着きを繰り返した後、私がいつもテンポを上げて欲しくない、というアレグロ部分になるのだが、その若干上がる部分をアダージョで押し通すのはいかにもカラヤン流で、これがまた新鮮で悪くない。結果的にその後のアレグロのせわしなさを回避している。
同様に、第6番のフィナーレで、やはりテンポを上げて欲しくない、というラス前を、早い段階でアッチェレランドをかける事により、結果的に速い部分のせわしなさをこちらも回避している。今まで聴いた第6番の中でも、最も欠点が少ない名演の一つと言える。
その後も、どこかに欠点はないか、気に入らない点はないかとあら捜し的に聴いていったのだが(笑)第5番、第4番、「タピオラ」は、第5番のアダージョにアッチェレランドが若干きつい部分があるのみで、ほぼ文句の付けようがない。
さて、問題の交響曲第2番である。なぜ問題かというと、常々書いてきている通り私はこの曲があまり好きではないからである。
なぜ好きではないかというと、いかにも「後期ロマン派の交響曲でござい」といった感じで、シベリウスが「置きに行っている」感がするからだ。そして、そういう曲をまた「後期ロマン派の交響曲の指揮法はこれででござい」といった感じの「置きに行っている」指揮を聴くと、さらにうんざりしてしまう。
なので、以前から書いている通り、キャッチャーな曲ほど真摯に演奏すべき、というあくまで個人的な持論から、この曲はストイックに演奏するべき、等と思っていた。

しかし、このカラヤンの演奏、いかにも「後期ロマン派の交響曲の指揮法はこれででござい」感満載なのに、まったく不快感が無い。ここまでやり切ると逆に不快感が無くなるという事か?それともこれがカラヤン・マジックなんだろうか。いや、交響曲というより、これはオペラの一部を演奏しているような雰囲気で、こういうやり方もあったのか、と目から鱗である。カラヤン嫌いは直す気はないが、シベリウスに関しては改める。

最後に「フィンランディア」であるが、これは下品で軽薄な演奏でひどかった。

何にせよ、ベルリン・フィルとの録音も聴いてみたくなるが、人によってはフィルハーモニア管の方がいい、という人もいるので悩むところだ。

ペトリ・サカリのシベリウスのまとめ

ペトリ・サカリのシベリウスは、交響曲第6番、第7番があまりにも良かったので期待したが、第5番で首をかしげた。その後も一応ほとんどの録音を聴いてみたのだが、2000年録音の交響曲第6番、第7番と他の演奏や響きが、別人のように違う。
録音年をまとめると
1996年 交響曲第3番
1997年 交響曲第1番、第2番、第4番、「フィンランディア」「カレリア組曲」「レンミンカイネン組曲」「テンペスト組曲第1番」
1998年 第5番
2000年 交響曲第6番、第7番、「ポホヨラの娘」「大洋の女神」「タピオラ」「エン・サガ」「吟遊詩人」「テンペスト組曲第2番」
となるのだが、2000年の、どこにも無理がない自然流の演奏に比して、1996年から1997年の演奏は、アクセント、バランス、音量、テンポ設定、激しさとか、なんか妙なところにこだわっている演奏が多く、それが効果的ならまだしも、個人的には悪い結果になっているような気がする。
以前、先走って「ここにきてやっと理想の指揮者に出会った気がする」と書いたが、2000年の演奏方法で、他の曲も録音しなおしてくれたら、この言葉は撤回する必要がないのだが。
気になるのが、なぜ1998年に1曲しか録音せず、2000年まで不自然に時間があいているのかである。
海外のアイスランド交響楽団の情報をネットで見ると、ペトリ・サカリがアイスランド交響楽団の主席指揮者を務めたのが1987年から1993年と、1996年から1998年とある。つまり2000年には彼はアイスランド交響楽団の主席指揮者ではないことになる。主席指揮者でなくても録音はできるのだが、ではなぜ1998年、1999年にかけて継続して録音が行われなかったのか。
あくまで個人的な推測だが、1998年に首席指揮者をやめたのが、なんらかの理由による当初の予定にない出来事であり、2000年に録音を再開するまで、なんらかの理由でペトリ・サカリがアイスランド交響楽団を指揮できないという事情があったのではないか。そしてその間にペトリ・サカリに心境の変化があったか、指揮法が変わったかしたのではないか。
以前、ヴァンスカがミネソタ管弦楽団音楽監督をいったんやめて、復帰したあと音楽が変わったのではないか、という話を書いたが

http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2019/11/02/082757

音楽が「自然流」になったことを含め、非常によく似たパターンに思える。
何にせよ、ペトリ・サカリのシベリウスは6番、7番、「テンペスト組曲第2番」収録のものと「ポホヨラの娘」等を収録したもの2枚が絶対のお勧め。