ペトリ・サカリのシベリウスは、交響曲第6番、第7番があまりにも良かったので期待したが、第5番で首をかしげた。その後も一応ほとんどの録音を聴いてみたのだが、2000年録音の交響曲第6番、第7番と他の演奏や響きが、別人のように違う。
録音年をまとめると
1996年 交響曲第3番
1997年 交響曲第1番、第2番、第4番、「フィンランディア」「カレリア組曲」「レンミンカイネン組曲」「テンペスト組曲第1番」
1998年 第5番
2000年 交響曲第6番、第7番、「ポホヨラの娘」「大洋の女神」「タピオラ」「エン・サガ」「吟遊詩人」「テンペスト組曲第2番」
となるのだが、2000年の、どこにも無理がない自然流の演奏に比して、1996年から1997年の演奏は、アクセント、バランス、音量、テンポ設定、激しさとか、なんか妙なところにこだわっている演奏が多く、それが効果的ならまだしも、個人的には悪い結果になっているような気がする。
以前、先走って「ここにきてやっと理想の指揮者に出会った気がする」と書いたが、2000年の演奏方法で、他の曲も録音しなおしてくれたら、この言葉は撤回する必要がないのだが。
気になるのが、なぜ1998年に1曲しか録音せず、2000年まで不自然に時間があいているのかである。
海外のアイスランド交響楽団の情報をネットで見ると、ペトリ・サカリがアイスランド交響楽団の主席指揮者を務めたのが1987年から1993年と、1996年から1998年とある。つまり2000年には彼はアイスランド交響楽団の主席指揮者ではないことになる。主席指揮者でなくても録音はできるのだが、ではなぜ1998年、1999年にかけて継続して録音が行われなかったのか。
あくまで個人的な推測だが、1998年に首席指揮者をやめたのが、なんらかの理由による当初の予定にない出来事であり、2000年に録音を再開するまで、なんらかの理由でペトリ・サカリがアイスランド交響楽団を指揮できないという事情があったのではないか。そしてその間にペトリ・サカリに心境の変化があったか、指揮法が変わったかしたのではないか。
以前、ヴァンスカがミネソタ管弦楽団の音楽監督をいったんやめて、復帰したあと音楽が変わったのではないか、という話を書いたが
http://hakuasin.hatenablog.com/entry/2019/11/02/082757
音楽が「自然流」になったことを含め、非常によく似たパターンに思える。
何にせよ、ペトリ・サカリのシベリウスは6番、7番、「テンペスト組曲第2番」収録のものと「ポホヨラの娘」等を収録したもの2枚が絶対のお勧め。