三国志

現在、三国志のブームなのであろうか?時代劇専門の漫画雑誌に大島やすいち柴田錬三郎三国志を漫画化したなと思っていたら、スペリオールで池上遼一が始め、なんと少年マガジンでも始まった。(関羽張飛が少年なのがかわいい)他は知らぬが、もしかしたらもっとあるのかも知れない。何年かごとに、三国志を知らない世代が育ってくるのだから、しょうがないのかもしれないが、そろそろ三国志って無理があるって事を、みんな気づいたほうがいいような気もする。
いくら史実と違って、面白おかしくフィクションを作っても、歴史的な結果は動かせないわけで、そのために作成側は、苦労するし、読む側もストレスがたまる部分であろう。すなわち、蜀は魏に滅ぼされ、魏は晋に滅ぼされ、呉は晋に滅ぼされる、という歴史的事実である。儒教的見地でいう悪役の曹操の(子が)立てた魏がすぐさま滅ぶのはよいとしても、同じく儒教的見地で言う正義の味方、劉備孔明の蜀が滅びるのは、歴史的事実として動かしがたいため、さんざんそこまで盛り上げておいて、最後がこれだから、まさに尻切れトンボで、読む側は、なんかもやもやとした思いが胸にたまるのである。たぶん、多くの三国志では孔明が、奮闘するも、後主劉禅が凡庸であったから滅んだというようにして、劉備孔明に罪を着せないような書き方をしているはずであるが、大いに疑問である。後主劉禅が凡庸であったというのも、劉備を持ち上げる為の後付けの理屈くさいし、蜀が滅びる遠因は、あきらかに劉備が(関羽の敵討ちとはいえ)呉との同盟を破棄し、呉との戦いを開始し、かつ敗れたことにあるのは間違いないのである。歴史に「れば、たら」はないというが、蜀呉同盟が続いて魏に対抗していたら、いづれ、なんらかの形で中国は統一されたかもしれないが、史実とは違った形になったであろう。そこらへんの、劉備の罪をしっかり把握し、けして蜀が正義というわけではないという観点で、三国志を認識しなおさなければならないのではないだろうか?
でも、私がそんなこと言ってる間に、いわゆる「三国志」のイメージが、多くの人の頭に、刻み込まれていくという歴史が、続いていくのだろうなあ。