プッチーニ「蝶々夫人」について

このオペラも「トゥーランドット」同様、私の思いは複雑である。CDで聴く分にはいいが、実際の舞台はもう見たくないかもしれない。オペラは舞台芸術であるから、舞台を見ないことには話にならないのであるが、「蝶々夫人」だけはだめである。
それは第2幕から第3幕にかけての場面である。
ピンカートンが去って3年、息子も大きくなった。周りはピンカートンをあきらめろというが蝶々さんは断固としてピンカートンを信じる。
そして、丘の上の家からピンカートンの船が見えると、蝶々さんはすぐにでもピンカートンが来ると思い、女中のスズキともに家の中を花びらで埋め障子をしめてそこに指で穴をあけ、今か今かと息子とともに穴から覗いて待っているのである。そしてそんななか第2幕は下りる。
そして、第3幕があがると、もう夜があけてしまっている。もとよりピンカートンは来るはずも無い。
さすがに息子は寝てしまっているが、蝶々さんは第2幕の終わりとまったく同じ姿で立ち尽くしているのだ。
私はこのシーンが見られない。この文章を書きながらも、涙が出てくる。世の中にこんなに切なくかわいそうな事があるだろうか。なんでみんな平気なんだ!?