これから書くことは現代の学術的なものに基づいているので、もしかしたら後年覆るかも知れない事をお断りしておく。
私が若かりし頃、古史古伝ブームというのがあって、けっこうはまったものだった。
古史古伝のいくつかは、いわゆる神代文字というもので書かれていたが、私は当時、まずこれは眉唾ものである、と思っていた。
というのは、まず神代文字の多くは母音と子音の組合せで、現代の50音図にあてはまるものが多いのだが、奈良時代以前には母音が5つ以上あった、と言われているからだ。
しかし、その後勝手な考察で、母音が5つ以上あった時代は、渡来人が勢力を持ち(藤原氏もそうだと勝手に思っている)そのせいで、支配階級に渡来人の発音が影響して母音が増え、それがまた沈静化して5音にもどったのではないか、と思って、やはり神代文字は正しかったのかなあ、等と思った時期もあった。
しかし今度は、50音図成立がいつなのか、と思い始めた。つまり、日本語を母音と子音にわけるという発想がなければ50音図も無いし、神代文字もあり得ないわけだ。
で、調べてみると、日本における音韻学というのは、インド、中国経由の悉曇学によって始まったらしい。そして日本語の五十音図の始まりは平安時代の明覚という僧が作成したという。
つまり、それ以前の日本語において「あかさたな、いきしちに」等とならべて唱える事はありえない、という事になる。
そうなると、やはり神代文字は後世の作と言う事になる。内容的には正しい事も含まれているのかもしれないが「あかさたな、いきしちに」的な歌となると、古代の人が詠んだ、というのは無理があると思う。