前期古典派の交響曲

昨日、トリビアハイドンの「驚愕」(むかしはびっくり交響曲なんていたこともあったが)が取り上げられていた。こんなの昔から、レコードやCDの解説に必ず乗っていたと思うのだが・・・概して、歴史、芸術関係は、常識かと思っていることがトリビアになっていてそれこそ「びっくり」する。
考えてみれば、今でこそクラシックは芸術あつかいであるが、ハイドンモーツァルトのころは、演奏会で交響曲通しでが演奏される事はあまりなく、間にいろいろまじえて演奏されていた。(その演奏会のパトロン貴族の子女のソロ演奏の協奏曲とか)
そもそも交響曲のルーツは、第1楽章(アレグロ)は晩餐会舞踏会の入場の曲、2楽章(アンダンテ、のちにアダージョ)は、食事、歓談のBGM、3楽章(メヌエット、のちにスケルツォ)はそれこそ舞踏のため、第4楽章(アレグロ)は、会が終わって、客を早く退場させる為の音楽(だからアレグロ(早く))だった。それが、だんだん、今の交響曲の形に整えられていったのが、前期古典派といわれる、ハイドンよりちょっと上の世代である。それ以前は、王侯貴族が、例えば野外で食事する時に、お抱えの楽師にBGMを演奏させてたり、眠れない時に、お休みの音楽を奏でさせてリ、ってそんな感じだったのである。もっと、皆さん、気軽にクラシックをききませう。