その2

中学に上がる頃からラジオを聴きだし、フォークや洋楽と出合った。「もとまろ」の「サルビアの花」のころだろうか。井上陽水は、シュールな歌詞にはまった(窓の外ではりんご売り・・・)そして、生ギターを買い「神田川」や「赤色エレジー」あたりから練習をはじめた。
実は私はビートルズよりミッシェル・ポルナレフが先だった(来日時のNHK口パク映像も見た、「トランペット」で激しく振り返ってサングラスがずれて、目が見えた)
「明星」「平凡」の歌本には洋楽も読み仮名つきで載っていた。フランス語も読み仮名つきだったのでポルナレフは重宝した。
その後はビートルズ、おいそれとLPの買える時期ではなかったので「落合恵子のカム・トゥゲザー」で渇きを癒していた。
作詞作曲の真似事ははこのころからはじめていた。
無謀にも高校にあがった時から一人暮らしだった。友人とパープルのコピーバンドを組んだ(最初はビートルズのコピーをやるはずだったのにいつの間にか変わっていた)ベースは全くのしろうとだったから、ただコピーしたままを演奏することしかできなかった。ギタリストが「ブルースやりたいんだけど」と言ってきた時も「ブルースって何?」状態。初めの頃はひどかった。しかしブルースのレコードを借りて、こんな風にやるのかとわかってからは、面白くなり始めた。
余談だが、これからロックで楽器の演奏をはじめようとする人がいるなら、好き嫌いにかかわらず、1度はブルースをやった方がいい。バンド全体で息をあわせること、ソロ楽器が盛り上がった時に、他の楽器はどうやってそれをサポートしてより効果的にしていくかの勉強や、いわゆるインプロの勉強にもなる。そうすればどなたかが言ったように「最近のミュージシャンはアドリブが利かない」などと言われなくなるであろう。
高校1年の時、キッスの日本デビュー・シングルのジャケットをミュージック・ライフで見かけ、一発で衝動買い、「アライブ!」で打ちのめされファンクラブに入る(が、すぐに脱退)