デューンシリーズを読み終えて

久々に「砂漠の神皇帝」まで読み終えて、我慢できなくなって、高いユーズドを含んで「砂漠の異端者」「砂丘の大聖堂」まで揃えて読んでしまう。翻訳出版時読んでいるので20年以上ぶりである。
読み終えると、全てを見通したかのような謎の二人組みが現れて、いよいよシリーズも佳境に入ったところでほおり出された感じ。翻訳者の後書きにハーバート本人から次作がほとんど出来上がっていると聞いている、とあるから、未完成でもそのまま出版して欲しかった(息子が余計な事を書き足さない形で)
改めて思うが、ワイドスクリーン・バロックの見せ掛けの奥に、これほど読者を哲学的思索と混乱に陥れる要素を詰め込んだ作家は、彼以外にいなかったでろう(勿論、すべてのSFを読んでいるわけではないのだけれど)
あえてあげればアーシュラ・K・ル・グウィンだが、女性原理と男性原理の明らかな違いがあり「混乱」は無い。
それこそ30年ぐらい前「デューンなんて、単なる王子様の復讐譚でしょ」という女性がいて、開いた口が塞がらなかった事があった。
そういってしまえば確かにそうだし、当時の石ノ森章太郎のイラストのイメージもあっただろう。
しかし、そういうことを言う人は、全く読んでいないか、哲学的思索を意識的無意識的に避けているか、そういう哲学的思索とは無縁な人なのかのどちらかであろう。その女性のベストSFが「夏への扉」なので推して知るべきか。
さあ、いよいよトレメインだ(こちら)