ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」についての話(とホルライザー盤)

ブルックナー交響曲第4番は、たぶんブルックナー・ファン以外のクラシック・ファンにとっては、最もポピュラーなブルックナーの曲だと思う。(なので、この曲だけは録音しているという指揮者はごまんといる)
そして、ブルックナー・ファンからすると、ポピュラーであるがゆえに(ブルックナーの魅力はポピュラーさには無いんだぞ、といいたいのだろうが)8番、9番、7番、5番、人によっては3番よりは低く見ているのが普通(と、勝手な意見)
以前、ドボルザークの「新世界より」について
「ポピュラーなクラシックは逆に真摯に真摯に演奏しなければ下卑たものになってしまう」と書いたが
http://hakuasin.hatenablog.com/entries/2004/07/19
この「ロマンティック」もポピュラーなるがゆえに、どの指揮者も何か余計な事を意識的にか無意識的にかやってしまう。そして、結果、ブルックナーならざる演奏になってしまう。
今まで書かなかったが、かのベームの「ロマンティック」を期待して買ったところ、あまりにも外面的効果を狙った演奏になっていてがっかりした事がある。
しかし、指揮者に同情するべき点もあって、ブルックナーの曲というのは、何か余計な事をしなければ不安になってしまう、という性質もあるのは確かである。つまり生のままのブルックナーを提示する事に不安を感じるのである。
そういう意味で、余計な事をする、とう誘惑に打ち勝って、生のままのブルックナーを提示したホルライザーの演奏は、非常に勇気がある貴重な演奏だと思う。(本当の事を言うと、スケルツォで若干のテンポ変化がある事はあるのだが、他の演奏に比べれば、余計な事の部類には入らないだろう)
そして、余計な事をしないブルックナーこそが最上である、といういい証明になると思う。