日本人の「見做し」の文化(セーラームーンの話題から)

セーラームーンは日本人に見えない」みたいなことを海外の人が言っているらしい。セーラームーンに限らず、日本の漫画やアニメのキャラは、なぜ白人なのか?という声も海外からよく聞く。
思い出すのはディズニーの初期のアニメで、まず俳優に実際に演じさせてフィルムに撮り、それをトレースする形でアニメを作っていた、という話を知って違和感を覚えたことがある。
アニメの動きは人間の動きのようでなければならない。それが発展して白人は白人に、黒人は黒人に、東洋人は東洋人にみえなければならない。それが海外の人々の潜在意識にあるような気がする。
なぜ違和感を覚えたかというと、アニメというのは、実写ではできない、アニメでなけれはできないことをどんどん発展させていくものだ、と思っていたからで、上記のような発想はその可能性を自らつぶしていると思ったからである。
翻って、例えば日本の歌舞伎には黒子というのがいる。これは舞台上に見えていても、観客はそれをいないものと見做して楽しむ。殺陣も実際の殺陣とはまったく違うが観客はそれを切りあいと見做して楽しむ。
漫画やアニメも、日本人に見えようが見えまいが、それを日本人、いやアニメ上の登場人物として見做して日本人はそれを楽しんでいるのである。(っていうか、そもそも人種という概念が海外に比べて日本人には乏しい事も事実)
だから、日本のアニメはジャパニメーションとして、独特の発展を遂げて海外でも人気が高いわけである。
なので「日本の漫画やアニメのキャラが日本人に見えない」というのは、的外れも甚だしいのである。
PS.
勿論、古代ローマ以前から連綿と続く、他民族を征服して奴隷化する、という海外の歴史背景と、島国でほぼ単一民族であった日本の歴史背景が違うので、しょうがないと言えばしょうがない。