文化

来秋の朝ドラの話

来秋の朝ドラの話来秋の朝ドラの主人公が、ニッカウヰスキーの創業者の妻(スコットランド人)だそうだ。 来春の朝ドラの主人公が「赤毛のアン」の翻訳者、村岡花子で、作者のモンゴメリーがアイルランド系移民の子孫だから、なんかケルトづいているな。俳優…

ビートルズの軌跡

ビートルズの軌跡 ミュージック・ライフ編 構成:渋谷陽一(1972 文庫化:1987)古本屋で見つけたが、寡聞にしてこの本の存在を知らなった。ミュージック・ライフに掲載されたリアルタイムのビートルズの記事をまとめたものである。私の世代のロック少年少女…

ブラッドベリ、ブラウンと黒人奴隷問題

ブラッドベリ、ブラウンと黒人奴隷問題長いお盆休みだから、というわけでもないが、懐かしいSFを読み返したりしている。ブラッドベリの「火星年代記」は今読んでも傑作だなあ、と改めて思う。この作品はいわゆる連作短編の形式だが、その中に「空のあなた…

間違った「儒教の理想」

私は「論語」における孔子の人間的エピソードが好きである。しかし「儒教」になると、いい面も悪い面も出てくる。孔子は「礼」とは「仁」を形に表したもの「仁」は「忠恕」すなわち「真心と思いやり」だ、と説いた。つまりは「礼」の本質は「相手を不快にさ…

続・言語と民族と古代

続・言語と民族と古代 大分前にこんな事を書いたがhttp://hakuasin.hatenablog.com/entries/2006/10/03SOV SVO の他に、VSO や VOS,OVS,OSV まであるとは知らなかった(汗)しかし、なぜ分かれたんだろう。不思議だ。今回びっくりしたのが、シュメール語が日…

北天鬼神 阿弖流為・田村麻呂伝

北天鬼神 阿弖流為・田村麻呂伝(1990)菊池敬一先日の「北天の魁(ほし)―安倍貞任伝」http://hakuasin.hatenablog.com/entries/2013/05/26の続編的な内容だが「北天の魁」は新聞連載ということで、一般向けの読み物的な性格があったが、こちらは(たぶん)書…

北天の魁(ほし)―安倍貞任伝(1985)菊池敬一

北天の魁(ほし)―安倍貞任伝(1985)菊池敬一岩手日報に1983~1985年まで連載されていた、安倍貞任を中心とした東北各地に残る蝦夷関連の伝説の紹介、こういうのが読みたかった!ただし、第1章は「陸奥話記」による朝廷や源氏側から見た前九年の役の全体の流…

「東北学/忘れられた東北」

「東北学/忘れられた東北」赤坂憲雄(2009:東北学へ(1)(1996)改題)先日「「蒼き蝦夷の血」をペンディングした」と書いたが、読みたい本がたまっていたせいである。その中の一冊がこちら。たまたま書店で見かけて買ったが作者は著名な民俗学者らしい(…

シベリウス「クレルヴォ交響曲」

シベリウス クレルヴォ交響曲ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団(2000)リリ・パーシキヴィ:Msライモ・ラウッカ:Brベルグルンド指揮 ボーンマス交響楽団(1970)ライリ・コスティア:Sウスコ・ヴィータネン:Brシベリウス聴き始めの頃に聴いた「クレルヴォ…

シベリウスとカレワラ その2

シベリウスとカレワラ その2先日は、シベリウスの「レンミンカイネン組曲」とフィンランドの民族叙事詩「カレワラ」について書いたがhttp://blogs.yahoo.co.jp/hakuasin/32844747.htmlシベリウスはまだまだ「カレワラ」を題材にして曲を書いている。 シベリ…

シベリウスとカレワラ その1

シベリウスとカレワラ その1シベリウスの交響詩に「レンミンカイネン組曲(四つの伝説曲)というのがあるが、タイトル通り以下の4つの曲で構成されているのだが(題名は邦訳により差異がある) 1.レンミンカイネンとサーリの乙女たち2.トゥオネラの白鳥3.…

縄文とケルト スコットランド民謡

縄文とケルト スコットランド民謡縄文とケルトには、なんらかのつながりがあったのでは?と以前よく書いていたが、決定的な証拠があるわけではもちろん無い。しかし、とっくに知っていたはずなのに、これと関連付けて考えなかったために見落としていたことが…

ケルトと縄文

ケルトと縄文ケルトと縄文には何かつながりがあるのではないか、とは以前から書いてきた。例えばhttp://d.hatena.ne.jp/hakuasin/20110305http://d.hatena.ne.jp/hakuasin/20110227先日「封印された黒聖書の謎」(プフェッテンバッハ著)を読んでいたら、こ…

日本語の省略語

日本語の省略語日本語は外国語と比べて、常に子音と母音がセットであるために音節が多くなる。よって、言葉がどうしても長くなってしまうために、昔から省略があたりまえのように行われてきた。古くは戦国時代の古文書を見たりすると、木下藤吉郎のことを「…

あるサイトから

無断引用ご容赦 アメリカでしばらく仕事をしていたことがある。 誰かがどこの出身かを聞いてきたので、アイルランドだよと答えたら、彼女は「ははは」と笑って、本当はどこなのよ?と聞いてきた。 当惑してアイルランドだよと答えた。 このやりとりが繰り返…

津軽弁と南部弁

何度も書いているが青森生まれ札幌、埼玉育ち八戸在住の私は、ある程度はわかっていてもコアな方言はなかなか歯が立たない。 全く違う言葉になるるなら意味を聞けるが、標準語と同じか、想像がつく言葉なのに、意味が正反対になってしまう場合があるので要注…

ブラム・ストーカー

「吸血鬼カーミラ」(こちら)を読んだ時に「ドラキュラも最後に読んだのは随分前だったなあ」と思ったのだが、本の貯蔵庫(笑)の奥から探し出して、読み返そうかどうしようかと思いながら、解説などを読んでみた。 で、びっくりしたのが、ブラム・ストーカ…

「あばよ」の語源

柳沢慎吾の決め台詞である「あばよ」も、もう死語に近いと思うが、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ「鉄塔の怪人」の冒頭で「アバよ」というセリフが出てきて、語源が気になった。 諸説あるらしいが「按配よう」が有力であるらしい。現代語に言い直せは「元気…

死をもちて赦されん(1994 邦訳:2011)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第6弾であり、シリーズ第1作 舞台はブリテン島、解説によると第2作の舞台はローマ、つまり「古代アイルランドを舞台としたミステリー」という謳い文句からすると、邦訳が第1作からでは読者が…

修道女フィデルマの洞察(2000 邦訳:2010)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第5弾であり、「洞察」と同様にシリーズ第9作の短編集の15作から5作をを訳出したもの。残りの5作もいずれ邦訳される事を望む。 「修道女フィデルマ・シリーズ」は短編から始まったと以前書…

自分の殺害を予言した占星術師(2004 邦訳:2006)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ」シリーズの短編であるが、アン・ペリー編「ホロスコープは死を招く」という占星術がテーマのミステリー・アンソロジーに収録されている。本来はシリーズ第14作の"Whispers of the Dead"という短編集に収録されてい…

蛇、もっとも禍し(1996 邦訳:2009)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第4弾であり、シリーズ第4作 ある修道院の飲料水をくみ上げる泉から、若い女性の首なし死体が、調査に向かうフィデルマは船旅の途中、無人の大型漂流船に遭遇するが、その船上で彼女が発見した…

修道女フィデルマの叡智(2000 邦訳:2009)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第3弾であり、シリーズ第9作の短編集の15作から5作をを訳出したもの。シリーズ第9作とはいえ、シリーズは長編の前に短編から始まっているので、シリーズのルーツともいえる。 短編でも犯人…

幼き子らよ、我がもとへ(1995 邦訳:2007)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第2弾(シリーズ第3作)である。 前回の「蜘蛛の巣」が、なぜ邦訳の第1弾になったかというと、たぶん当時のアイルランドの一地方を舞台にしているために、当時のアイルランドの社会の仕組みの…

蜘蛛の巣(1997 邦訳:2006)

ピーター・トレメイン 「修道女フィデルマ・シリーズ」の邦訳第1弾(シリーズ第5作)である。 本来「修道女フィデルマ・シリーズ」を読むために、トレメインの最初の邦訳「アイルランド幻想」(こちら)を読んだはずなのに、読んだら他の怪奇・幻想小説を…

「マック」のつく名字

これは、以前ケルト系の本を読んだ時に気付いた事なのだが、文にしていなかったので書いてみる。 例えば、ポール・マッカートニーとか、英語の名字によくある「マック」という接頭辞(Mac や Mc)というのは、本来ゲール語で「息子」を意味するものだとは知…

 「アイルランド幻想」ピーター・トレメイン(1992)

翻訳:甲斐万里江(2005) 先日ちらっと触れたピーター・トレメインであるが(こちら) 間に「巨人たちの星」3部作が挟まってしまった「デューン・シリーズ」再読も終わり(こちらも最後の2シリーズを購入という、最初の予定外の結果になったが)ようやく…

ピーター・トレメイン

最近古本屋で「修道女フィデルマ・シリーズ」なるものが目に入って、何か気になっていた。 たまたま別の本屋で「修道女フィデルマの叡智」「修道女フィデルマの洞察」という短編集が2冊ともあったので、とりあえず買ってみた。 そして、家に帰って作者につ…

「蝶々夫人」と日本、ヨーロッパ、アメリカ

日本人はアメリカもヨーロッパも「欧米」でくくってしまうので気がつきづらいが、プッチーニの「蝶々夫人」は、実はヨーロッパによるアメリカ批判である、という説があって、これには納得できる。 日本人にとっての「蝶々夫人」は「日本対西洋」だけれども、…

なぜフランスのグランド・オペラにバレエ場面が必要か・

ちなみに、なぜフランスのグランド・オペラにバレエ場面が必要か・・・単純にフランスは総合芸術を目指したのかな、等と昔は思っていたのだが・・・・ 江戸時代初期、女性による歌舞伎が禁止され、次に若い男性が女性を演じる若衆歌舞伎があらわれたがやはり…