ブルックナー 交響曲第9番 第4楽章

アイヒホルン指揮 リンツブルックナー管弦楽団(1992)
ブルックナーの第9は第4楽章(フィナーレ)が未完である。以前補筆されたバージョンをインバル指揮で聴いたと書いた(こちら
ところが、実は補筆版は複数あるらしく(詳しくは下記のウィキペディア参照)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC)
アイヒホルンが指揮したSMPC版というのがあるというので聴きたくなってしまった。
インバル盤ではいかにも断片のつなぎあわせという感じだったが、こちらは全体的な展開も自然で悪くない。しかしである。これが第6あたりのフィナーレですと言われたら。おお、なかなかいいではないかとも思うのだが、あの圧倒的な第9の前3楽章の後に来るフィナーレとしてどうか、となるとちょっと微妙だ。
また、ある意味すでに長大な第9に長大なフィナーレが必要かというと、また考えざるを得ない。
スケルツォを除けば、(比較的ではあるが)たとえば第3はフィナーレが短い、第5はアダージョが短い、第7はフィナーレが、第8は第1楽章が短い。第4、第6は全体的に長大ではない。となると、第9に長大なフィナーレがつくと、ブルックナーの交響曲で、初めて第1楽章、アダージョ、フィナーレがすべて長大なものが登場するということになる。(インバル盤では約20分だがアイヒホルン盤では30分を超え、全体としては90分である!)これは聴き手はかなりしんどいのではないか。
また、長らくアダージョで終わることに慣れてしまうと、どうしてもそれ以後はつけたりと感じてしまうし、あの第8の次の第9のフィナーレであれば、第8のフィナーレに勝るとも劣らない出来を期待してしまう。
ゆえに、この第4楽章は、通常第3楽章まで聴いた後に聴くのではなく。あくまで独立して未完の作品として楽しむのがいいような気がする。