惑星大戦争(1977)

以前ちょっと触れた(こちら)を、デアゴスティーニのおかげで見ることができた。
東宝特撮映画というのは、ある程度「トホホ」部分があるのが大前提で(笑)見るほうは意識的、無意識的にそれに目をつぶって見ている。目をつぶるだけの価値がある映画があるからである。
例えば「地球防衛軍」(1957)やら「海底軍艦」(1963)からの流れで「スター・ウォーズ」のパクリをやる、という観点から見れは、この映画はある意味まっとうな作り方である。
問題は、「スター・ウォーズ」の登場により、東宝特撮の映画作製手法が一気に陳腐化してしまったこと、そして、製作側がそれに気づかないで映画を作ってしまった事だと思う。
スター・ウォーズ」以後の目で、意識的にトホホ部分に目をつぶって見ていると、見る部分が皆無になってしまう、という事態を招いてしまったのだ。
誘拐された浅野ゆう子が、いきなり手足むき出しの衣装に着替えさせられているのは、いくら浅野ゆう子目当てでこの映画を見ているこの私でさえ引いてしまった(爆)