ワーグナー「パルジファル」

クナッパーツブッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団(1954)
アンフォルタス:ハンス・ホッター
ティトゥレル:テオ・アダム
グルネマンツ:ヨーゼフ・グラインドル
パルジファル:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
クリングゾル:グスタフ・ナイトリンガー
クンドリ:マルタ・メードル
音は1959年盤より若干悪いぐらいで、そんなに悪いと言うほどではない。
1年ぶりにバイロイトに復帰したからなのか、クナの気合の入り方が尋常ではない。情念と力強さが全体を支配している。
クナの「パルジファル」は、みんないいな。
以前にも似たような事を書いているかもしれないが、
レコードやCDが無い時代、指揮者(演奏家も歌手も)「記録されて、それを後から何べんも聞き返すもの」として、演奏していなかった、という事は、忘れがちであるが、重要な事である。
レコーディングが当たり前になる世代の直前、フルトヴェングラークナッパーツブッシュは、若い頃、演奏とはそういうものだ、という世界で修行してきたのである。
だから、「後から何べんも聞き返すこと」を前提に演奏された演奏を聴く「耳」を持って、彼らの演奏を聴くと、その価値を見誤る危険があるのである。
やたらと、演奏上のキズを棚にあげて、クナを批判する人もいるのだが、演奏上のキズの問題など、繰り返し聞く事を前提としてこそであり、一期一会でその場所で、聴衆に対し真剣勝負をしている指揮者にとっては、聴き終わった後の感動こそ全てであるのだ。
そういう意味では、クナのパルジファルは、どの演奏も、あだやおろそかに出来るものでは無い。
また、クナは歌手の歌いやすさを考慮していない、と非難する人もいる。
こういうのを妄言というのだ。
歌手が歌いやすいようにして成り立つのはベルカント・オペラである。
ワーグナーのオペラは、指揮者もオーケストラも歌手も、その身を捧げる事によって成り立つのである。