ゲド戦記:帰還(1990)

(Earthsea Cycle:Tehanu)
アーシュラ・K・ル=グウィン
余談だが、出版当時は「ゲド戦記最後の書」との副題があったが、のちにさらに続巻が発売され副題はきれいさっぱり無くなった。前にも書いたが、前作から18年後の発表で、あきらかに雰囲気も文体も違う(時代の要求だろう)前作で魔法の力を使い果たし衰弱して、竜の背にのって故郷へ帰ってきたゲド。時系列的には、まさに前作とノンストップでつながっているはずなのに。
前作までとの一番の違いは、なまなましい生活感のある世界が繰り広げられている事。それは「性」「性差」を描いているからでもある。これは前作までは無かったものだ。(魔法使いは、自ら精神的な宦官になっているという秘密の暴露は、ある意味納得は出来るが、実際に表に出されるとショックだ)
第2巻で闇の世界からゲドによって救い出されたテナーは、普通の女性としての生活を望み、それを成し遂げた。けれどもやはり彼女は「自分が生きていけるところを見つけ出したい」と言う・・・徹頭徹尾これは女性の物語である。前作までは偉かったはずの魔法使い達をはじめ、男はどこまでも男。女を真に理解していず、大賢者だったはずのゲドも例外ではい。魔法は何のため?大賢者の「賢」って、どこが「賢」なの?である。あげくに、魔法を失って普通の男になったゲドが、テナーによって初めて知るS○Xが、まるで彼を大賢人にまで押し上げた「魔法」より価値があるかのごとき書き方だ。(テナーは、はじめて会った時のゲドを、何をするでも無く、また魔法使いであるが故ではなく、彼自身の存在によって男として認識したと告白している)もはやファンタジーでも少年少女向けの話では無い。もしかして、この「アースシー」の世界が、「魔法」を得たのもその世界の成長段階の必要性であって、この巻でとうとうそれを卒業して、魔法が無用な世界がこれから展開していく姿を描いているのでは・・・とも思わせる。(あくまで独断)
個人的にには実は、一番読みやすかったというのもなんか皮肉である。しかし、前作まででも大概何重にも深い作品が、読みやすさにもかかわらず、さらに幾重にも深みを増したのも事実。さて、ある程度予想はつくが、最終巻はどうなるか。