ドナ・サマー "Lady of the Night"(1974)(とピート・ベロッテ)

1974年にオランダのみで発売されたドナ・サマーの1stアルバムである。
プロデュースはピート・ベロッテ、全曲ジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテのコンビによるもの。
今まで触れてなかったが、実はカサブランカ時代のドナ・サマーの曲はほとんどがこのコンビによるもの。
ピート・ベロッテはイギリス生まれ(本来はピーター・ベロッテ)のギタリスト兼プロデューサーで(「愛の誘惑のプロデュースは実は彼だし、ギタリストとしてもクレジットされている)地元のビートグループでデビュー後にヨーロッパにわたりキャリアを重ねてドイツでジョルジオ・モロダーのアシスタントになる。そして二人はドナ・サマーを発見するわけだ。
前にも書いたが、元々アメリカ人のドナ・サマーであるが、ミュージカル「ヘアー」のヨーロッパ公演のオーディションに受かってヨーロッパで何年か過ごし、そのままヨーロッパで活動、シングルを出したりしたらしいが、その後モデルのバイトとスタジオでのバックコーラスをしていたというから、大して売れなかったのか。そして、その時期にスリードックナイトのレコーディングスタジオで3人は出会う。
さて、内容であるが非常にバラエティに富んだジャンルの曲で構成されており、完成度も高く、二人のコンポーザーとしての腕をアピールする事に成功しているが、それよりも、そのすべてをこなすドナ・サマーの歌唱力が圧倒的だ。もしかしたらジョルジオ・モロダーはこのアルバムを通して、彼女の歌手としての可能性の確認をしていたのかもしれない。
このアルバムはヨーロッパではそこそこヒットしたし、佳作ではあると思うが、これをこのままアメリカで出してもヒットは難しかったと思う。ネットでも書かれていたがリンダ・ロンシュタットあたりに近い仕上がりになっており、どうしても二番煎じの感は否めないし彼女ならではのインパクトには乏しい。「愛の誘惑」の誕生はそういう背景があったのだと思う。
ちなみに当時彼女がオーストリア人の俳優と結婚しており、その名字を名乗って Donna Sommer(ドナ・ゾンマー)でアルバムデビューするはずが、誤植により、Sommer が Summer になってしまい、そのままドナ・サマーとして活動したのだとか!大びっくりである。

以下、ドイツのTVショーでの映像(シングルがドイツでヒットした)1stシングル"The Hostage"(日本発売時の邦題「恐怖の脅迫電話」)と"Lady of the Night"で、曲の内容にからんだ寸劇付きの口パク。なんか容姿が垢ぬけなくて初々しい。っていうか背が高いな。え?170cm あるの?

"Lady of the Night"はフィル・スペクターロネッツ)へのオマージュに感じられる。

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